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原萩子ちゃんにとっての十角館 [Book]

あ、今回は話の都合上、
十角館の殺人のネタバレを平気でしていきます。悪く思わないでください。
まあ、こんなメジャな作品(クソシテミルでもネタバレされていた)を
読んでいない人が悪いと思います。

十角館の殺人 限定愛蔵版

十角館の殺人 限定愛蔵版

  • 作者: 綾辻 行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/09/06
  • メディア: 単行本


『十角館の殺人』とは、
綾辻行人による長編推理小説、通称『館シリーズ』の第一作で、
新本格ムーブメントの嚆矢となった日本ミステリ史上の傑作の一つなんだそうです。
Wikipediaにそう書いてありました。

十角館の殺人は、私も当然読んだことがあります。
しかし、読んだのは意外と遅く、なんとコズミック(皆さんご存知)よりも後です。
なぜそんなことになったのかというと、
上記(日本ミステリ史上の傑作)のような褒め方をしている人が大勢いたため、
ハードルが上がりすぎて、読むのが怖かったからです。
これだけ絶賛されている作品を、もし面白いと思えなかったら……。
というような人並みの不安を、当時の私は持っていたわけです(いやはや)。

さて。
結局、私は十角館の殺人を面白いと思えたのでしょうか?
答えは『そこそこ』です。
面白くはありましたが、日本ミステリ史上の傑作は言いすぎでしょう、
と思いました。

えーっと、これは別に十角館の殺人を貶しているわけではなく、
ハードルが上がりすぎていたが故の弊害というか……。
「新本格」と言われても、
もう多くの新本格を読んでしまっていた私にとっては、むしろ古いというか……。
その古さも、三大奇書のようなクラシカルなものではなく、
ただ単に色褪せてしまった古さを感じました。

新本格ムーブメントの嚆矢といえども、時間が経てば、ただの本格。
『新』とは、商業用に作られたラベルに過ぎなかったのです。
この作品が新本格ムーブメントを起こしたというよりは、
この作品が、偶然、新本格ムーブメントという商業キャンペーンの一作目だったのでしょう。
ただそれだけのことで、同時期の新本格より別格扱いされている気がします。


いえいえ、これは別に十角館の殺人を貶しているわけではないですよ。本当に本当。
しかし、日本ミステリに与えた影響に関しては、疑う余地はありませんが、
日本ミステリ史上の傑作かと言われると……。
作品の出来自体は、第一作相応だと思いました、とそういうことが言いたいのです。

館シリーズの作風は、言ってみれば意地悪な子供のようなもので、
読者の裏をかく、一番ありえなそうトリック、結末をもってくることが多いのです。
ゆえにトリックや結末が逆にわかりやすいのです。
十角館の殺人も非常にわかりやすいトリックでした。
(トリックが全然わからないでお馴染みの原萩子ちゃんでもすぐにわかりました)
フェアなミステリィを書いているともいえますが、
ちょっと(日本ミステリ史上の傑作だと思って読むと)物足りなさを感じました。

ここから作品内容についてのネタバレがあります。



あらすじは各々で調べてもらうとして、
十角館の殺人のトリックが、なぜわかりやすかったかを簡単に説明しましょう。

前提条件はとりあえずこんな感じで
・孤島でのクローズドサークルもの
・メインキャラクタ(孤島にいる人々)は、お互いをあだ名で呼び合う
・孤島、本土という二つの視点でストーリイが進む
・ものすごいどんでん返しがあるという宣伝&風聞

この時点で、なんとなくトリックがわかってしまいませんか?
特にあだ名で呼び合うというのは大きなヒントで、
トリックのためとしか言いようのない不自然なものです。
だって本物の殺人事件が起こっているのに、
いつまでもそんなお遊びを続ける必然性はまったくありませんよね?
つまりなにか裏があるということ。
これと併せて、わざわざ本土視点がある意味を考えれば……、もうわかりますよね?
あとは気合と根性です(犯人の)。


それと、館シリーズという名称そのものからわかるように、
探偵役である『島田潔』にあまり魅力がないというのも、私個人としては問題です。
(主人公に魅力があれば、探偵の名を冠したシリーズ名になるでしょう)
超人的な天才ではなく、凡人の延長線上の秀才といった感じで。
リアルといえばリアルですが、別にそこにリアリティは求めていませんしね。
やはり本格の探偵役は、超人的な名探偵でなければならないと思います。

それなのに『島田潔』は、名前からして名探偵っぽくないです。
例えば
『九十九十九』
『龍宮城之介』
『氷姫宮幽弥』
『由比賀独尊』
『雨恋淋誰?』(あーもう一回言ってくれ)
なんて名前だと、もう雰囲気で名探偵だとわかりますよね。
作者の頭がヤバイことだってわかります。

それに引き換え『島田潔』って……。
名前の由来からして、地味になるのは仕方ないのですが、
それならそれで『鹿谷門実』なんてペンネームを、
無理やり不自然に(日常生活中でもPNで呼ばせる)使いだすのはどうでしょう?


何度も書きますが、別に十角館の殺人を貶しているわけではないです。
この作品が、というよりも、
綾辻行人が、この作品により新本格を代表する作者になったことが、
米澤穂信や、古野まほろを産む遠因になったと言いたいだけです。
そういった意味では、非常に罪深い作品であると思います。

あとやっぱり面白くないってことも言いたいです。
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本格列車よ、どこへ行く [Book]

「ミステリィ小説は子供っぽくてつまらない」という意見を聞きます。
ここで言われるミステリィ小説とは、おそらく本格ミステリィ小説のことでしょう。
つまり(謎副詞)、子供っぽいというのは、あながち間違いではないということです。

なぜ『つまり』なのか。
これを説明するには、まず本格ミステリィがどういったものか説明する必要があります。
しかし面倒くさいのです。
本格ミステリィがどういったものなのか、
その定義ほど、バカバカしいものはないのです。

魅力もなにもない探偵が、日常的な事件を、ガバガバ推理で解決するような
例えば、氷菓のようなペラペラ作品も、定義上(誰が定めたのかは不明です)、
本格ミステリィの条件を満たしているので、
占星術殺人事件や、バイバイ、エンジェルなどに、
肩を並べ、いえ、本に肩はないでしょう……、
ともかく並んで本格ミステリィの集合に含まれてしまうわけです。

こういう状態で『本格ミステリィが好き』などと言ってしまうのは危険です。
これは「本格ミステリィが好き」イコール「氷菓が好き」と、
とられてもおかしくない発言に、(現状では)なってしまっているのです。

なので私は本格という言葉にはこだわらず、「ミステリィ小説が好き」と言っている……、
もっと言えば、『本格』などという括りを廃止せよ、と言っているのです。
いつ言っているのです? いま言ったのです。


とはいえ、一応私の思う本格ミステリィの定義を書いておきましょう。
一つは、魅力的な探偵や犯人、登場人物たち。
二つは、現実では起こりえない奇怪な事件。
三つは、読者の予想を裏切る形での解決。
こんな感じです。

全体的に荒唐無稽な感が漂っていることからわかるとおり、
本格ミステリィには、ライトノベルと紙一重な作品も多いのです。
ライトノベルが悪いわけではありませんが、
子供っぽいと言われることに反論は出来ません。反論する必要もありませんが。
むしろ必死になって「ライトノベルではない」とファンが主張する作品ほど、
本格からライトノベルに大きくバランスを崩した作品であることが多いのですが……。


話は次々に変わりますが、
バランスを崩した作品というものがどういったものか説明します。
これは簡単に説明できます。上記の三点を過剰にしたものを指します。
これらは、言うまでもなく本格ミステリィの定義を満たしているため、
本格ミステリィの集合に含まれているわけです。
これらを、あまりミステリィを読まない人たちが読んだらどう思うでしょうか?
どう思うか……私は読心術は使えないので、使える人は考えてみましょう。

ともかく、こういった作品は、明らかにミステリィ界に害悪だと思います。
思いませんか? 思いましょう。私からのお願いです。
しかし、世の中には、「本格ミステリィが廃れるよりはマシ」と、
ライトノベルのような本格ミステリィが量産されることを、
気にも留めない、ましてや積極的に推進しようという人たちがいるのです。

その昔、社会派ミステリィに押され、
消えかかった歴史が、本格ミステリィにはあるそうです。
ゆえに、本格ミステリィの火を絶やすなとばかりに、
新本格ムーブメントを後押しした作家もいたくらいなのですが、
いま現在も、同じような調子で、玉石混交、
炉になんでもかんでも燃えそうなものを放り込んでいくのはどうなのでしょう?

本格ミステリィ(におそらく分類されるもの)が、漫画やアニメ、映画になる時代に、
高度経済成長時代と変わらないような火力は、はたして必要なのでしょうか?
話が抽象的でよくわからなくなってきました。
書いた本人がわからない以上、読んだ人はもっとわからないでしょう。

つまりなにが言いたいのかというと、
推薦文がキライ
ということです。
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原萩子ちゃんの二十則 [Book]

一・事件の謎を解く手がかりは、
  全て明白に記述されていなくてはならないとは言うが、
  読者の九割は、真面目に推理なんてしていないし、
  手がかりなんて、探偵が口にするまで完全に忘れているので、
  別に後出しでもいいと思う。

二・作中の人物が仕掛けるトリック以外に、
  作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけないし、
  作者が経歴を詐称してはいけない。

三・不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけないが、
  知的でない作者の描く、知的でない物語なら、むしろそちらをメインにした方がよい。
  知的でない読者もそちらを望むだろう。

四・探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。
  これは恥知らずのペテンである。
  しかし犯人が突然怪物に急変してもよい。
  面白いかもしれない?

五・論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。
  論理が穴だらけでも、犯人はきっと泣きながら自供してくれるので大丈夫。

六・探偵小説には、必ず探偵役が登場して、
  その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
  また魅力的な女性も必ず登場し、被害者か犯人にならなければならない。

七・長編小説には死体が絶対に必要である。
  殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
  ましてや三流作家ならなおさらだ。

八・占いや心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
  探偵が超能力染みた直感力で次々と証拠を発見し、
  犯罪の真相を突き止めてもよい。

九・探偵役は一人が望ましい。
  美少女は何人出てもよい。

十・犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。
  最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、
  その作者の無能を告白するようなものである。
  しかし、作者より更に無能な読者は作者の無能さに気付かないので、普通に効果的である。

十一・端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。
   その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない……、
   などと書くと、いまの時代、職業差別になるのでやめようね。

十二・いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならないが、
   真のヒロインは一人でなくてもよい。読者の反応を見て決めよう。

十三・探偵小説では秘密結社などの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。
   彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
   ただし、探偵側も日本探偵倶楽部などの組織に属せば、フェアになる?

十四・殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。
   空想科学的であってはいけない。
   例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
   よって死体消失トリックに、核ミサイルを使用するのはフェアである。

十五・事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、
   作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
   一とほとんど同じ内容を繰り返している気がするのは、気のせいである。

十六・余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌は省くべきである。
   無意味な衒学的文章は特に省くべきである。

十七・プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。
   それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。
   真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
   というか、プロは無駄な工作をしないので、事件が地味になるのである。

十八・事件の結末を事故死や自殺で片付けてはいけない。
   こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
   しかしこういう小説は巷に溢れかえり、中々人気がある。
   読者はペテンにかけられるのが好きなのだろう。

十九・犯罪の動機は個人的なものが良い。
   国際的な陰謀や政治的な動機はスパイ小説に属する。
   かといって金銭問題、痴情の縺ればかりを題材にされても困る。

二十・自尊心のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。

  ・オチが親父ギャグ
  ・劇中劇
  ・全寮制女子高での事件
  ・経歴詐称
  ・帯に有名作家の名前
  ・主人公がホモ
  ・舞台のような非現実的な会話
  ・デスゲーム
  ・密室トリックが合鍵
  ・主人公が旧家のお嬢様
  ・警察が信じられないレベルで無能
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頭に浮かばない。頭は浮かばない。 [Book]

飛頭蛮の話はさておき、私の友人の話をしましょう。

私の友人は、イラストのない本が読めません。
読めないというのは過言です。実際には読む気がなくなるだけでしょう。
とにかくいい歳をして、ラノベ紛いの本しか読めない人なのです。

どうやらイラストがないと、登場人物の姿を想像することができないそうです。
どれだけ事細かに容姿が描写されていたとしても、
頭の中に、そのキャラクタの姿を思い描くことができないそうです。
私の友人に限らず、こういった人は少なからずいるようです。
恐ろしい世の中になってきました。

しかし、こういった人は、
キャラクタ以外の部分は問題なく想像できるのでしょうか?
「キャラクタ想像できない問題さえなんとかできれば……」といった調子で、
私の友人はイラストのない本を読み渋るのですが、
比較的想像しやすい人間の姿すら想像できないようでは、
他の部分は絶望的ではないでしょうか?
おそらく軽く読み飛ばして、会話部分だけを読むのでしょう。


文章から、人の姿を想像できないことは哀しいことです。
「黒髪ロングの美少女」とみたら、
すぐに原萩子ちゃんが思い浮かぶ程度の知性が、人間には必要だと思います。
思いませんか?
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本に栞は挟まない [Book]

ページ数くらい覚えていられます。
仮に忘れたとしても、少し読み直せば、すぐに読みたいページに戻れるでしょう。
これに特別な能力は必要ありません。誰でもできるはずです。
出来ない場合は、栞を挟んでいようといまいと、
本の内容を覚えているとは思えません。一から読み直した方がよいでしょう。

数秒の手間すらかけたくなく、
一刻も早く本を読み終えたいという、活字中毒者には栞が必要かもしれません。
彼らは文字を消費し、読んだ本の冊数を自慢することを目的としているので、
内容なんてどうでもいい、と考えている……はずです。
私はそういう偏見を彼らに抱いています。

沢山本を読んだという人間は(世間には)大勢いますが、
読み終わった本について詳しく語れるという人間はあまりいないことから、
あながち間違いではない偏見だといえないこともないでしょう。

そもそも沢山本を読む、早く本を読む、ことは凄いことなのでしょうか?
極端な話、一冊の本を一生読んでいる人の方が凄いと思います。
いま急に思いつきましたが、乱読家なんていう輩が世の中にはいますね。
なんて破廉恥な人間なのでしょうか。恥を知ってもらいたいです。
知ったら報告してもらいたいです。褒めてあげようと思います。


そういえば一昨日、とあるアクションゲームを買ったので、
ブログの更新をサボタージュしています。
ゲームをやりつつ、ブログの更新は出来ないのでしょうがないと思います?
そうなのです。しょうがないのです。
ちなみにゲームをやりながら本は読めます。
ご飯を食べながら、ゲームをやりながら、音楽を聴きながら、本を読んでいます。
テレビがもう一台あれば、おそらくテレビも見るでしょう(パワーレンジャー S.P.D.が見たい)。
我ながら、実に真摯な読書姿勢だと思います。



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愚者のエンドロールはドロドロ [Book]


愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ (角川文庫)

愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2012/04/25
  • メディア: Kindle版


一言で言うと、つまらない。
二言で言うと、とても、つまらない。
三言で言うと、とても、つまらない、ザウルス。

そんな愚者のエンドロールの記事を引き続き書いていきます。

毎度のことながら、トリックに関するネタバレがありますわ。
ご注意あそばせ。


探偵映画のパクリである以上、
作中にミステリィ映画を登場させなければいけなかったわけですが、
探偵映画と違い、映画自体がとにかくつまらなそうです。
しかも作者の描写が下手過ぎて、状況がさっぱり見えてきません。
映画を見る、ほうたる(笑)を見る、読者。
なんですかこの又聞きは。
これだけでも分かり辛いのに、映画の出来に対し、
いちいち古典部の茶々が入り、テンポも悪いです。たった15ページくらいなのに。

心を鬼にして、自分の精神に鞭を打ち(マゾ鬼)、
映画シーンを何度も読み直し、推理を試みた結果、以下のことが判明しました。
「境界条件が曖昧過ぎて推理不能」
意味のない時間を過ごしました。

映画の内容を詳しく説明するのも面倒なので、色々大胆かつ繊細に省き、説明します。
事件は密室風。トリックはロープを使い、窓から侵入したというだけのつまらないものです。
しかし、この映画シーンを読むだけでは、現場が密室ということはわかりませんし、
ロープは登場せず、伏線もありません。
1+1=2を、?+?=?こういう状態でやらされているようなものです。

おそらく作者にとって、この映画の謎はどうでもいいもので、
メーンの謎は、糞馬鹿脚本家がなぜバックレたか、ということなのでしょう。
でも、いくらなんでもこれは酷過ぎます。

こうなってくると、力点の置かれたメーンの謎は、さぞ凄いものなのだろうという期待が、
モルディブの辺りにふつふつ湧き上がってくるわけですが、
言うまでもなく、そちらも酷いものです。
脚本家がバックレた理由は、人が死なないはずの映画だったのに、
撮影班がノリで人が死ぬ映画に変えてしまったから。ただそれだけです。
こんなこと想像できますか?
急に登場人物が全員キチガイだったと言われたようなものです。

なぜ脚本にないことを勝手にやるのですか?
どういうつもりなのでしょう?
脚本家も脚本家で変です。
人が死ぬ作品がキライだったとしても、
こういう事態になってしまった以上、もう諦めて脚本を書き換えてくれませんか?
あるいは「勝手に脚本を変えられた!」と怒って、降りればいいのです。
病気のふりをして引きこもることはないでしょう。
そこまでの不殺の誓いはいったいなんなのでしょう?
そのくせ人が傷つく話は書けるのです。どういうことなのでしょう?
(六枚のとんかつみたいなバカミスを書けばいいのに)

責任感が強いとかそういう話ではありません。
ぶりっこ女の叔父と同じです。
このバカ学校は、NOと言えずに貧乏くじを引き、周囲を逆恨みするバカばかりです。


さて、もう一人バカがいましたね。
自称省エネ発情ボーイのことです。またまた女性に操られていました。
彼は下半身でしか物を考えられないのでしょうか?
そのくせ、千単打(OPS低そう)は観察力と記憶力には優れているが
分析力には欠けている(俺は優れているとでも言いたげ)などと
ナチュラルに人を見下したりもします。こういうところが大キライです。

そんな彼も、序盤こそ「普通人に憧れるわ~」という
驚異的スタートダッシュで飛ばしていたのですが、
女帝(笑)に「凄い才能だぁ」と言いくるめられ、
得意気に映画のトリックを考え(盗用)、脚本家の代わりを実質務める始末。省エネはどうした?
「『万人の死角』というのは、どうでしょう?」
なーんてしっかりタイトルまで考えてきているし。なんなのでしょうかこの男は。
もはやちょっとした恐怖です。


はい、気を取り直して、次に行ってみましょう。
ほうたる(笑)の考えた、トリックについてです。
綾辻行人氏のどんどん橋、落ちたという短編集の、
一編のネタバレになってしまうので、詳しくは書けませんが、まあ、パクリです。
偶然という声もあります。よくあるトリックだと言っているよねぽ信者を見たこともあります。

しかし、よねちんぽ大先生は、フェアなパクラー推理作家なので、
ちゃんとヒントをくれているわけです。
探偵映画の名を、わざわざあとがきに書いているように、
今度も綾辻氏から盗用した痕跡を、作中にしっかり残しています。

小説の途中、撮影場所の建物の詳細な地図が登場します。
そこには、その建物の設計士の名前が一部(途中でかすれている)書いてあるのですが……。
それが「中村青」なのです。……わからない場合は、中村青司で検索しましょう。

ま、まあトリックを盗用したとしても、
効果的に使用され、面白ければいいのですが、
間抜けの間抜けによる失敗推理として扱われているので、ちょっとどうかと思います。
途中に出てきたロープの話や、シャーロックホームズの話(初耳)を完全に忘れ、
ほうたる(笑)が、急に盗用トリックを得意気に語りだした時は、
さすがの私も同時に読んでいた違う本を閉じ、まじまじと左手の爪を見てしまいました。
私は常に、爪の白い部分をすべて切りたいという衝動と戦っているのです。

その後、古典部の間抜けたちに、そのことを思い出させられ、
ようやく真実に気付くほうたる(笑)……という展開なのですが、
古典部の間抜けたちの発言も、どこかズレています。

バカ「ロープはどうした?」
バカ「忘れてた。犯人が首吊り自殺するときにでも使うんだろ」
バカ「いや、ロープは頑丈だった。フリでも、万一の時に危ない」

万一ってなんでしょう?

バカ「ほうたるの考えたトリックは叙述トリックだ」
バカ「うん」
バカ「脚本家はホームズでミステリの勉強をしてた。そのころ叙述トリックはない」
バカ「確かに」

彼らの目には常に真実しか映らず、そしてそれがこの世のすべてなのです。



ということで、バカのエンドロールについての記事は、ここで終了です。
残りは三冊。気が重い気がします。だって気に重さはありません。つまり気のせいです。
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愚者のエンドロールはグシャグシャ [Book]


愚者のエンドロール (角川文庫)

愚者のエンドロール (角川文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2002/07/31
  • メディア: 文庫


円紫さんと私シリーズに影響を受けて書かれた古典部シリーズ
その第二作目、本作の設定は、偶然にも探偵映画に似ています。
そして登場するトリックはどんどん橋、落ちたとほぼ同一です。
「レッツ・ラ・まぜまぜ」にもほどがあると思います。
あと、ほうたる(笑)の糞うざさは、密閉教室の工藤に似ているとも思います。

よねちんぽ大先生は、
本作を「毒入りチョコレート事件リスペクト」であるかのように、ほざいておられますが、
実際には、まったくもって、ただただ、ほんまにもう、探偵映画の盗作でした。
しかもつまらない。劣化コピーというか、そもそもちゃんと読んでいないのだと思います。
「毒入りチョコレート事件」「探偵映画」の両方を。
あるいは読んだとしても、意味がわからなかったのかもしれません。

まず探偵映画は、毒入りチョコレート事件に似ていません。
共通点は、探偵役が複数人登場し、自分を犯人だとする推理があるという、ただそれだけです。
ではなぜ大先生は「探偵映画は毒チョコ+映像」などと、あとがきに書いたのでしょう?
答えは簡単です。探偵映画の文庫版でミステリィ評論家が、そう書いたからです。
評論家の戯言であり、多くの人は普通思わないことです。
解説を鵜呑みにする程度の読み方、そして理解度ということです。

そして愚者のエンドロールも、毒入りチョコレート事件に似ていません。
共通点は、探偵役が複数人登場し、それぞれが推理を披露するという、ただそれだけです。
そういった設定の作品は他にも多くあり、
黒後家蜘蛛の会や聯愁殺(本作と発行時期が近いので紹介してみました)などがあります。
ではなぜ大先生は本作を「毒入りチョコレート事件リスペクト」だとあとがきに書いたのでしょう?
答えは簡単です。探偵映画の文庫版でミステリィ評論家が、そう書いたからです。
パクリ元の元ネタ(実際には違う)の名前を出せば、読者を誤魔化せると思ったのでしょう。

では本作と探偵映画の類似点はどうでしょう?
先ほどはパクリだと言いましたが、実はそれほど似てはいないのです。

『探偵映画』
ミステリィ映画の犯人をスタッフや出演者に伝えぬまま、
撮影現場から突如姿を消した監督に代わり、
残されたスタッフたちが撮影を再開しようと
途中まで撮影した映像から、スタッフ、キャストに結末を推理してもらう。

『バカのエンド』
ミステリィ映画の犯人をスタッフや出演者に伝えぬまま、
軽度の胃炎と鬱によって家に引きこもってしまった素人脚本家に代わり、
残されたスタッフたちが撮影を再開しようと、
途中まで撮影した映像から、スタッフ、古典部の間抜け共に結末を推理してもらう。

ほら、全然似ていないでしょう?
特に探偵映画の監督が消えたことの重大さと、
バカの脚本家が家に引きこもったことのどうでもよさの差は凄いですよ。
本人に聞けよバカ。
素人脚本家なんていくらでも代わりがきくだろ。
素人映画の撮影なんてどうでもいいわ。
バカのエンドロールは、読んでいる間、これしか考えられません。
ただ探偵映画を、学園青春ものでやりたかっただけなので、事件がとにかく適当です。

古典部の間抜け共が関与する必然性もないです。
女帝とかいうラノベ丸出しのあだ名の人は、
自称省エネ発情ボーイのとてつもない承認欲求を暴走させるよりほかに、
とるべき策はなかったのでしょうか?
なかったのでしょう(知能が)。

しかし、この記事に続きはあります。あしからず。
誰も望むものはいませんが、どんどん橋関連の話も少し書きたいので。
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頭の中の声 [Book]

文章を読むとき、
私は文字を画像データとしてではなく、音声データとして認識します。
台詞だろうとなんだろうと、
文字という文字は、現実ではまったく聞いたこともない女性の声に変換されます。
いま書いているこの文章もそうです。リアルタイム変換中です。

例えば小説中のセリフが、男性のものであったとしても同じことです。
意識的に、現実で聞いたことのある声を想像しながらでないと、
やはり聞いたことのない女性の声になってしまうのです。
いったいこの声は誰なのでしょうか?

最近ではそんなことを考える、
思考さえも女性の声になってしまいました。
いえ、気付いていなかっただけで、
実は以前からそうだったのかもしれません。

いったい何時からなのでしょうか?
生まれたときからそうなのでしょうか?
それならばまだ良いのですが、そうでない場合、
私の頭の中の声はどこからやってきたのでしょう。
怖いですね(と考えるこの思考も女性の声)。

そういえば歌手がはっきりしている歌は大丈夫です。
女性の声ではなく、しっかりと歌手の声を想像できます。
しかし校歌や国歌はもうダメです。
これをヒントになんとか女性の声を追い出す方法を……、
「自分の歌声を想像すれば、頭の中の声を自分に戻すことが出来るのでは?」
そこまで考えたところで、気付いてしまいました。
自分の声が想像できないことに。

声を出し、その声を頭の中で再生することはできます。
しかしゼロから想像することはできません。
誰でもこんなものなのでしょうか?
それとも頭の中の女性の仕業なのでしょうか?

他の人の頭の中にも女性はいるのでしょうか?
あるいは男性かもしれませんが。
悩みというほどのものではありませんが、少し気になります。
あと一応書いておきますが、これは病気ではないと思います。
私は、皆が引くほど、ものすごいくらいに正気です。
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満願という小説が高い評価を得る、日本の読者のレベルの高さ [Book]


満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/07/28
  • メディア: 文庫


平均的知能を持つことを自負する私から見れば、
跳満級ゴミ小説でしかない満願ですが、
「このミステリーがすごい!」
「週刊文春ミステリーベスト10」
「ミステリが読みたい!」
などなど、すべてで一位。驚異の三冠(笑)。
大勢の読者から高い評価を得ているとかなんとか……。

こんなにも退屈で、つまらなくて、
なにも得るもののない(というのは嘘です。詳しくは後述)
小説を楽しめる人が、これほどまでに大勢いるとは驚きです。
日本人読者の知能も捨てたものではありませんね。
ところで「捨てたもんじゃない」という褒め方は、
ちょっとゴミっぽいと思っているということでは? 


実はというと、少しは面白い部分もあります。
帯に書いてある宣伝文や、裏表紙のアブストラクトが英国的ユーモアに溢れています。
バカの三冠王.jpg
・宣伝文(一部抜粋)
 磨かれた文体、完璧な技巧。至高のエンターテインメント!
 ミステリ最高傑作 待望の文庫化

おお、それはそれは……。

・アブストラクト(一部抜粋)
 史上初めての三冠を達成したミステリー短編集の金字塔。

いやはや、なかなかどうして……。

この高度なブリティッシュ・ジョークを楽しめたというだけで、
中古で300円を払っただけの価値はあった……と、そう思いたいところですが、無理です。
このジョークを楽しめるだけの知性が、私にはなかったので。


なにも得るもののない、と上には書きましたが、
そもそも大衆小説を読んで、なにかを得ようという姿勢が間違っているのです。
稀に、作品を通してなにか(思想やら政治やら)を伝えようとする作者がいますが、
あれは間違っています。非効率的です。
長々と数時間かけ、芸能人や流行らせたいものを宣伝するテレビ番組のようです。
冒頭に書けばいいと思います。

大胆に話が逸れましたので、淑やかに話を戻します。
結論から言うと、満願を読んで得たものはありました。

・この本が一位を取った三冊は絶対信用しないし、買わない。
・山本周五郎賞にはなんの価値もない。
・米澤大先生には、もうなにも期待しない。
・杉江松恋のポエム解説は一切信頼できない。

多くの事を学ぶことができました。

一つだけ変なのがあります。説明が必要でしょう。
私は書評や解説で、自分に酔った文章を書く輩がキライなのですが、
そうです。杉江松恋はまさにそういった輩です。
書き出しの「切実な。」「なんと、切実な。」で、ちょっと危ないなと思い、
解説の、いやに大仰な文章での、抽象的な褒め殺しにげんなり、
締めの「心にざわめきを。そしてきらめきを。」で本を投げました。
解説とはなにか、ということを考えさせられます。
小綺麗な言葉を並べ立てただけ。言葉の回転ずしです(ちょっと意味不明)。
まるで本心には見えません。
言葉を変えて、延々「この小説は凄い」と繰り返しているだけで、
解説はおろか、感想にすらなっていないのです。この文章になんの意味が?
いくら美辞麗句を書き連ねられたところで、
この小説がゴミであるという私の感想に変わりはないのですから。


さて、いよいよここからは、ミステリィ小説の感想とは思えない、
がっつりネタバレのコーナー……と行きたいところなのですが、
なんというか、その、ネタバレといえるほどのネタが、この小説にはないのです。
全部が全部くだらない話というか、ヤマも、オチも、意味もないというか……。

優れた短編集というのは、特にミステリィの短編集というのは普通、
文章で取り繕わなくとも、ただトリックが面白い、切れ味鋭い短編の集まりであるべきです。
よって、文章はジェット戦闘機のように、無駄を省き、洗練された形が望ましいです。
最後の数ページ、数行、あるいは一言のオチに向け、
一気に読める長さにまとめるのが、作者の腕の見せ所さん、だと私は思います。

しかし満願の磨かれた文体は酷いものです。だらだらと長い。
この作者は固有名詞を出すことがリアリティだと勘違いし、
更にリアリティが作品の面白さだと勘違いしている節があります。
別に架空の国やら、病気やらで構わないので、
もう少しパパッとまとめることはできないのでしょうか? オチに必要ありますか?

そのオチも別段面白いものではなく、
長編になるほどでもないネタも、短編に払い下げているかのような内容です。
短編が長編の下位互換だと思っているのでしょうか?

更につまらないことに、作品のバリエーションもありません。
外装を変えても、中身はすべて「人間の邪悪さ」といった風なもので、
読んでいて非常に飽きます。
それに米澤大先生の作品特有の、
ナチュラルに人を見下すヘドロのような一人称も相俟って、不快指数も高いです。
結果、読み終わるのにお正月休みをすべて浪費してしまいました。短編集なのに。


この小説を面白いと思えるのは才能です。私にその才能はありませんでした。
しかし貴方がこの小説を面白いと思ったとしても、私は嫉妬はしません。
素直に賞賛し、そして訊ねます。
「いったいどこが面白い(あるいは魅力的)のですか?」
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明けましてなにがめでたい [Book]

と書くか、あるいはなにも書かないか……、
時間の檻に囚われていない私のブログは、
お正月らしい記事を書くことを毎年拒否しているのですが、
今年はお正月らしいことをコメント欄に書かれてしまったので、

あけましておめでとうございます

と書き、お返ししておきましょう。
私は礼儀や風習がキライですが、礼儀知らずというわけではないのです(おそらく)。


ところでこういう本が、巷ではベストセラになっているようです。

九十歳。何がめでたい

九十歳。何がめでたい

  • 作者: 佐藤愛子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/08/01
  • メディア: 単行本


もちろん読んでいないので、内容は推し量るしかないのですが、
おそらく序文には「九十歳になり、周りから祝われるも謎切れする」といったおふざけがあり、
本文は、新聞を読んで謎切れしている表紙イラストから、
時事ネタでも切っていくのではないかという予想が容易にできます(名推理)。

しかし祝われて逆上するという、その奇妙なアティテュードは理解できないです。
確かに祝っている人々も本気で、心の底から祝っているわけではないでしょうし、
実際問題、ただ戸籍上の数字が一つ増えただけです。
しかし、だからといって
「九十年も生きているんじゃねーよババア」と言うわけにもいきませんし、
九十歳という節目を迎えた人間に対し、なにも言わないわけにもいきません。

一つ目のいけない理由は、九十歳にもなって俗世間に苛立つ老人は、
こんなユーモア溢れる発言を聞いたら間違いなく怒るから。
二つ目のいけない理由は、「九十歳。何がめでたい」という
年齢気にしてませんという風を装いつつ、ガッツリ気にしているタイトルを付ける人間が、
九十歳という節目を無視されれば、間違いなく怒るから、です。

いずれにせよ怒るのです。なんにでも怒りたいのです。
そういう人なのでしょう。

いや、本も読んだことないんですけど。

しかし、ああいった類の本は、いったいどういった層が読んでいるのでしょうか?
非常に気になります(昨日の天気くらい)。
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