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人の気配 [Occult]

一メートル後ろに人間が立っている。
私たちは、それに気付くことができます。
気付けない人もいるかもしれません。
では五十センチならどうでしょう?
それでも、まだ気付けない人がいるかもしれません。
気付くまで、略。

背中に目が付いているわけではないのに、
人はなぜそれに気付くことができるのでしょうか?
可能性として考えられるのは、まず影です。
これは説明不要でしょう。

次は音です。
呼吸音、衣擦れ……意識しても消せない音というものがあります。

その次は匂いです。
はっきりと分かるほどの匂いでなくとも、
無意識的に他者の匂いを感じ、人の存在に気付くことがあるのかもしれません。

最後は、温度です。
自分以外の存在が、こうなんというか、
周囲の温度を変えているのを感じるというか……。

あとは風の流れでわかるとか……。


では、これら以外で人の気配に気付くことがあるとすれば、
それは一体なんなのでしょうか?
たぶん気だと思います。


私は子供の頃、とても恐ろしい夢を見ました。
今でもはっきりと覚えています。

気が付くと、私は真っ暗な部屋の中にいて、目の前には鉄の扉。
その扉の中ほどには、郵便受けほどの大きさの四角い穴があり、
赤色の光が漏れてきていました。私は恐る恐る、その穴を覗きました。

扉の中には真っ黒な人間が何人も詰まっていました。
顔も体も真っ黒な、輪郭すらあやふや人間?たちが、
真っ赤な光で満たされた(光源は不明)タイル張りの部屋に並び、
こちらをじっと見つめていたのです。
真っ黒な人間たちの顔は真っ黒なので、目があるかどうかもわからないのですが、
なぜかそれがわかりました。

私は慌てて扉から離れました。
そして早くここから出なくては。
つまり夢から覚めなければいけないという焦燥感に駆られました。
真っ黒な人間たちが、こちらに向かって来ようとしている、そんな気がしたからです。

私は目を固く瞑りました。
悪夢から目覚めたいときに、昔からよくやっていたことです。
目を瞑り、体を縮めて蹲り、ずっとずっとそうしていると、
周囲に人の気配を感じ始めました。
真っ黒な人間たちが部屋に入ってきたのかもしれません。
しかし扉が開いたような音はしません。

目を開けて確認したいところではありましたが、
確認することで、真っ黒な人間たちが実体を持って襲ってくる気がして、
どうしても目を開けることができませんでした。

目を瞑ったまま我慢を続けていると、突然に目が覚めました。
オレンジ色の常夜灯がついた、いつもの寝室です。
真っ暗な悪夢の部屋は、もうどこか遠くに行ってしまったようでした。
しかし額には汗、心臓は激しく音を鳴らし続け、恐怖は治まりません。

私は悪夢の時と同じように固く目を瞑りました。
そして身体を丸め、布団の中に潜り込みました。
布団の中で聞こえるのは、呼吸音、衣擦れ、心臓の音のみ、
匂い、温度、風も布団に遮られ、外の様子は一切わかりません。

それなのに、私は、布団の外に、明らかな人の気配を感じました。
あれは一体なんだったのでしょうか?

たぶん気のせいだと思います。

あ、そうそう。
私はいつからか悪夢を見なくなりました。
悪夢をいやらしい夢に変換できるようになったからです。
いやらしい夢から目覚めると、わりかし発情していますが、
別に現実に気配がついてきたりはしません。まあ夢なんて所詮そんなものです。
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頭の中の声 [Book]

文章を読むとき、
私は文字を画像データとしてではなく、音声データとして認識します。
台詞だろうとなんだろうと、
文字という文字は、現実ではまったく聞いたこともない女性の声に変換されます。
いま書いているこの文章もそうです。リアルタイム変換中です。

例えば小説中のセリフが、男性のものであったとしても同じことです。
意識的に、現実で聞いたことのある声を想像しながらでないと、
やはり聞いたことのない女性の声になってしまうのです。
いったいこの声は誰なのでしょうか?

最近ではそんなことを考える、
思考さえも女性の声になってしまいました。
いえ、気付いていなかっただけで、
実は以前からそうだったのかもしれません。

いったい何時からなのでしょうか?
生まれたときからそうなのでしょうか?
それならばまだ良いのですが、そうでない場合、
私の頭の中の声はどこからやってきたのでしょう。
怖いですね(と考えるこの思考も女性の声)。

そういえば歌手がはっきりしている歌は大丈夫です。
女性の声ではなく、しっかりと歌手の声を想像できます。
しかし校歌や国歌はもうダメです。
これをヒントになんとか女性の声を追い出す方法を……、
「自分の歌声を想像すれば、頭の中の声を自分に戻すことが出来るのでは?」
そこまで考えたところで、気付いてしまいました。
自分の声が想像できないことに。

声を出し、その声を頭の中で再生することはできます。
しかしゼロから想像することはできません。
誰でもこんなものなのでしょうか?
それとも頭の中の女性の仕業なのでしょうか?

他の人の頭の中にも女性はいるのでしょうか?
あるいは男性かもしれませんが。
悩みというほどのものではありませんが、少し気になります。
あと一応書いておきますが、これは病気ではないと思います。
私は、皆が引くほど、ものすごいくらいに正気です。
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六匹のたい焼きと四人の容疑者たち [Tagebuch]

私はたい焼きが好きです。
といってもケーキの方が好きです。
特にモンブランが好きです(これくらいしか名前が思いつかない)。
基本的には、和菓子より洋菓子の方が好きなのです。

では早速本題から逸れますが、
なぜ和菓子より洋菓子が好きかを説明しましょう。

洋菓子は、和菓子に比べ、アベレージが優れているのです。
美味しい和菓子は、確かに美味しいです。
洋菓子のクリーミィ(脂っこい)な甘さと違い、
さっぱりとした上品な甘さで、胃にもたれるようなことがありません(1kgも食べなければ)。
しかし、美味しい和菓子は高級なものに限られます。
例えば、コンビニで売っているような和菓子は、
人から無料で貰わない限り、とても食べられたものではありません。
困ったものです。

たい焼きに話を戻します。
私がたい焼きを好きな理由は単純です。
たい焼きは和菓子にも洋菓子にも、
あるいはなんだかよくわからない菓子にもなれる変節漢だからです。
大勢の人の好みに対応することが可能です。
それに値段が200円を超えることはほとんどないのです。
以上のことから、たい焼き以上にお土産に相応しいお菓子は探せばあると言えるでしょう。


ということで先日(私の言う先日とは過去半年間を指す)、
私は、四人の人間が存在する部屋に、
六種六匹のたい焼きをお土産に買って、持っていきました。
一人一匹ずつ、私だけは二匹の計算です。

部屋に入り、机にたい焼きの袋を置き、中から一匹だけ取り出すと、
「残った鯛から好きな鯛を選んでください」と四人に言い残し、
私は部屋を出て行ったそうです(記憶にない)。
色々と忙しかったのでしょう。
私は常に忙しいふりをしているので仕方のない事です。
あとずっと風邪が治らないので、そろそろ死ぬかもしれません。

さて、部屋を出てから数十分経ち、忙しいふりも終わり、
部屋に帰ると、机にあったはずのたい焼きの袋がありません。
これはどうしたことでしょう? 泳ぎにでもいったのでしょうか?
まさかと思いゴミ箱を開けると、そこには空っぽのクシャクシャの、
惨めな紙くずが入っていました。白と赤のチェック模様……私のたい焼きの袋です。

私は部屋にいる四人に訊ねました。
「私のたい焼きはどこですか?」
四人の内の一人が言いました。
「美味しくいただきました」

これは『お前の分も食べてやったぜ』という意味なのでしょうか?
しかし、こんなあっけらかんと自分の悪事を自白するものでしょうか?
いえ、そもそも悪事だと思っていない可能性も……私にはわかりませんでした。

ですが、これだけはわかります。
四人の中に、たい焼きを二匹食べた人間がいるのです。
人間の屑です。

私が一人一匹だと言わなかったのも確かに悪いです。
しかし、それでも一人で二匹を食べますか?
他の人は、みな一匹なのですよ? 普通食べますか、二匹?
買ってきた人に譲る(譲る?)か、せめて確認するべきです。
勝手に二匹食べるなんてどうかしています。サイコパスです。

私は怒りました。
心の中で「私のたい焼きを返せ!」と叫びました。
あと椅子に音を立てて座りました。
咳ばらいをしたり、頭を抱えたりもしてみました。

しかし、これだけやっても、誰一人自分の犯した罪を告白、
もしくは他人の犯した罪を告発してきません。
全員が全員犯人なのかもしれません。

私は怒りました。
家に帰り、寝室で枕を投げました。
掛け布団の上で転がり、ばたばたと両足を動かしました。
しかし、それでも犯人は現れませんでした。許せません。
「犯人に告げます。私のたい焼きを返しなさい。さもなくばもっと怒ります」


ところで余談ですが、
私はしっぽまであんこが入っていないたい焼きが好きなのです。
あんパンは、パンの部分が分厚い方が好きです。憶えておいて得はないでしょう。
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恋人の条件 [Philosophie]

学歴、職業、年齢、性別、種は問いません。
ただ容貌が整っていて、人格者で、権力者かあるいはその親族で、資産家で、
私を食べようとさえしなければ、大抵の欠点には目を瞑ります。

厳密にいえば、他にも細かい条件はあります。

スマートフォンを持っていない(ゲームとかをされるのがイヤ)。
ノンポリである(俗世間のことは気にしない欲しい)。
読書家(読んだ冊数を誇らないタイプの)で、特にミステリィとホラーが好き。
西尾維新がキライ。
米澤穂信がキライ。
角川のキャラミステリィがキライ。
格闘ゲームをやらない(格ゲーマーは私を無視して、ずっとネット対戦をやるので)。
歩くのが好き(車と電車で移動するのがキライ)。
お洒落(私の服もコーディネイトして欲しい)。
傘を差さない(そんな日は出かけない)。
折り畳み傘を持たない(格好悪い)。
外食に連れて行ってくれる(一人では行けない)。
子供っぽい食べ物が好き(カレーとか、ハンバーグとか)。
泳ぎが得意(私がまったく泳げないので)。
水辺に近づこうとしない(私がまったく泳げないので)。
強い(私が弱いので)。
犬に強い(私が犬に弱いので)。
猫が好き(私が猫に弱いので)。
虫に強い(私が虫に弱いので)。

本当はもう少しあるのですが、いま思いついたのはこれだけです。
あとは、休日どこにも行きたがらないというのも重要です。
休みの日はずーっと眠るというのが、人間のあるべき姿でしょう。

最後に、私の代わりにブログを更新してくれれば言うことなしです。
今回みたいなつまらない記事は絶対に書かない人がいいです。
よって、今回記事を書いた人は条件から外れます(しかも私を食べようともする)。



ところで私は、読んだ本を逐一ついったなどで報告する人間がキライなのです。
「今月三十冊読みました」と書き込むような人種のことです。
本当にちゃんと読んでいるのでしょうか?
申し訳程度に書いてある感想は、単なるあらすじか、
「よかった」「考えさせられる」といったような、
読まなくても書けるような内容のものばかりです。

「騎士団長殺しを読みました。今月五千八百冊目の本です。
 村上春樹らしい内容でよかったです。
 自分とはなんなのか……そういったことを考えたり、考えなかったりしました」

眠たくなってきます。

こういう人たちに読まれ、本棚に飾られた本のことを、
リーディング・トロフィと呼ぶのです。嘘です。
本が泣いています(かなり怖い)。
ところで余談ですが(全編余談ではありますが)、
講談社文庫のピンクカバーはちょっと本棚に置きたくないデザインだと思います。

カーニバル一輪の花 (講談社文庫)

カーニバル一輪の花 (講談社文庫)

  • 作者: 清涼院 流水
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/01
  • メディア: 文庫


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満願という小説が高い評価を得る、日本の読者のレベルの高さ [Book]


満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/07/28
  • メディア: 文庫


平均的知能を持つことを自負する私から見れば、
跳満級ゴミ小説でしかない満願ですが、
「このミステリーがすごい!」
「週刊文春ミステリーベスト10」
「ミステリが読みたい!」
などなど、すべてで一位。驚異の三冠(笑)。
大勢の読者から高い評価を得ているとかなんとか……。

こんなにも退屈で、つまらなくて、
なにも得るもののない(というのは嘘です。詳しくは後述)
小説を楽しめる人が、これほどまでに大勢いるとは驚きです。
日本人読者の知能も捨てたものではありませんね。
ところで「捨てたもんじゃない」という褒め方は、
ちょっとゴミっぽいと思っているということでは? 


実はというと、少しは面白い部分もあります。
帯に書いてある宣伝文や、裏表紙のアブストラクトが英国的ユーモアに溢れています。
バカの三冠王.jpg
・宣伝文(一部抜粋)
 磨かれた文体、完璧な技巧。至高のエンターテインメント!
 ミステリ最高傑作 待望の文庫化

おお、それはそれは……。

・アブストラクト(一部抜粋)
 史上初めての三冠を達成したミステリー短編集の金字塔。

いやはや、なかなかどうして……。

この高度なブリティッシュ・ジョークを楽しめたというだけで、
中古で300円を払っただけの価値はあった……と、そう思いたいところですが、無理です。
このジョークを楽しめるだけの知性が、私にはなかったので。


なにも得るもののない、と上には書きましたが、
そもそも大衆小説を読んで、なにかを得ようという姿勢が間違っているのです。
稀に、作品を通してなにか(思想やら政治やら)を伝えようとする作者がいますが、
あれは間違っています。非効率的です。
長々と数時間かけ、芸能人や流行らせたいものを宣伝するテレビ番組のようです。
冒頭に書けばいいと思います。

大胆に話が逸れましたので、淑やかに話を戻します。
結論から言うと、満願を読んで得たものはありました。

・この本が一位を取った三冊は絶対信用しないし、買わない。
・山本周五郎賞にはなんの価値もない。
・米澤大先生には、もうなにも期待しない。
・杉江松恋のポエム解説は一切信頼できない。

多くの事を学ぶことができました。

一つだけ変なのがあります。説明が必要でしょう。
私は書評や解説で、自分に酔った文章を書く輩がキライなのですが、
そうです。杉江松恋はまさにそういった輩です。
書き出しの「切実な。」「なんと、切実な。」で、ちょっと危ないなと思い、
解説の、いやに大仰な文章での、抽象的な褒め殺しにげんなり、
締めの「心にざわめきを。そしてきらめきを。」で本を投げました。
解説とはなにか、ということを考えさせられます。
小綺麗な言葉を並べ立てただけ。言葉の回転ずしです(ちょっと意味不明)。
まるで本心には見えません。
言葉を変えて、延々「この小説は凄い」と繰り返しているだけで、
解説はおろか、感想にすらなっていないのです。この文章になんの意味が?
いくら美辞麗句を書き連ねられたところで、
この小説がゴミであるという私の感想に変わりはないのですから。


さて、いよいよここからは、ミステリィ小説の感想とは思えない、
がっつりネタバレのコーナー……と行きたいところなのですが、
なんというか、その、ネタバレといえるほどのネタが、この小説にはないのです。
全部が全部くだらない話というか、ヤマも、オチも、意味もないというか……。

優れた短編集というのは、特にミステリィの短編集というのは普通、
文章で取り繕わなくとも、ただトリックが面白い、切れ味鋭い短編の集まりであるべきです。
よって、文章はジェット戦闘機のように、無駄を省き、洗練された形が望ましいです。
最後の数ページ、数行、あるいは一言のオチに向け、
一気に読める長さにまとめるのが、作者の腕の見せ所さん、だと私は思います。

しかし満願の磨かれた文体は酷いものです。だらだらと長い。
この作者は固有名詞を出すことがリアリティだと勘違いし、
更にリアリティが作品の面白さだと勘違いしている節があります。
別に架空の国やら、病気やらで構わないので、
もう少しパパッとまとめることはできないのでしょうか? オチに必要ありますか?

そのオチも別段面白いものではなく、
長編になるほどでもないネタも、短編に払い下げているかのような内容です。
短編が長編の下位互換だと思っているのでしょうか?

更につまらないことに、作品のバリエーションもありません。
外装を変えても、中身はすべて「人間の邪悪さ」といった風なもので、
読んでいて非常に飽きます。
それに米澤大先生の作品特有の、
ナチュラルに人を見下すヘドロのような一人称も相俟って、不快指数も高いです。
結果、読み終わるのにお正月休みをすべて浪費してしまいました。短編集なのに。


この小説を面白いと思えるのは才能です。私にその才能はありませんでした。
しかし貴方がこの小説を面白いと思ったとしても、私は嫉妬はしません。
素直に賞賛し、そして訊ねます。
「いったいどこが面白い(あるいは魅力的)のですか?」
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明けましてなにがめでたい [Book]

と書くか、あるいはなにも書かないか……、
時間の檻に囚われていない私のブログは、
お正月らしい記事を書くことを毎年拒否しているのですが、
今年はお正月らしいことをコメント欄に書かれてしまったので、

あけましておめでとうございます

と書き、お返ししておきましょう。
私は礼儀や風習がキライですが、礼儀知らずというわけではないのです(おそらく)。


ところでこういう本が、巷ではベストセラになっているようです。

九十歳。何がめでたい

九十歳。何がめでたい

  • 作者: 佐藤愛子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/08/01
  • メディア: 単行本


もちろん読んでいないので、内容は推し量るしかないのですが、
おそらく序文には「九十歳になり、周りから祝われるも謎切れする」といったおふざけがあり、
本文は、新聞を読んで謎切れしている表紙イラストから、
時事ネタでも切っていくのではないかという予想が容易にできます(名推理)。

しかし祝われて逆上するという、その奇妙なアティテュードは理解できないです。
確かに祝っている人々も本気で、心の底から祝っているわけではないでしょうし、
実際問題、ただ戸籍上の数字が一つ増えただけです。
しかし、だからといって
「九十年も生きているんじゃねーよババア」と言うわけにもいきませんし、
九十歳という節目を迎えた人間に対し、なにも言わないわけにもいきません。

一つ目のいけない理由は、九十歳にもなって俗世間に苛立つ老人は、
こんなユーモア溢れる発言を聞いたら間違いなく怒るから。
二つ目のいけない理由は、「九十歳。何がめでたい」という
年齢気にしてませんという風を装いつつ、ガッツリ気にしているタイトルを付ける人間が、
九十歳という節目を無視されれば、間違いなく怒るから、です。

いずれにせよ怒るのです。なんにでも怒りたいのです。
そういう人なのでしょう。

いや、本も読んだことないんですけど。

しかし、ああいった類の本は、いったいどういった層が読んでいるのでしょうか?
非常に気になります(昨日の天気くらい)。
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メフィスト賞作家とかいうちょっとした悪口 [Book]

メフィスト賞なんてものは、言ってみればプロ野球の新人王……
なんて大層なものではなく、イロモノ選手をドラ1で一本釣りするようなものです。
ドラ1指名されるのは、確かに凄いことではありますが、大切なのはその後の活躍です。
デビュー後、何年たってもメフィスト賞受賞を誇っている作家がいたら、
いつまでもドラ1を売りにしている野球選手のようで、ちょっとかわいそう。
ですので、皆さんもメフィスト賞出身の作家に好きな人がいた場合、
メフィスト賞作家と呼ばないようにしましょう。
キライな人がいた場合、メフィスト賞作家と呼びましょう。


さて、メフィスト賞が世に送り出した作家は、
清涼院流水もどきの、脳みそコズミックのメフィスト賞作家か、
あるいはミステリィ風別ジャンル小説家ばかり……
かどうかは定かではありません。私の知る限りではそうです。

はっきり書いてしまうと、メフィスト賞には興味がありません。
故に、メフィスト賞作家について、詳しく語れるほどの知識はありません。
そもそも私がミステリィ小説を読むようになったのは、
かまいたちの夜というSFCゲームで我孫子武丸を知り、
少し遅れて新本格ブームに乗り始めたからであり、
好きなミステリィ小説家は京極夏彦、森博嗣、西澤保彦といった面々で、
メフィスト賞とは一切関係がありません。

ということで、今回はメフィスト賞とは特に関係がありませんが、
森博嗣の話でもしたいと思います。


森博嗣は理系作家と呼ばれ(誰に?)、
元国立大学教授、小説は二週間くらいで書く、清涼院流水と親しい、
ミステリィだけでなく、SF、エッセイ、最近では新書まで出版、
ドラマ化、アニメ化、映画化などメディアミックス作品も多数、
西尾維新が崇めていた(しかし大辞展では一言も言及なし。よって過去形)などなど
ちょっと調べるだけで、やばげなワードがずらずらと並び、
さぞ、ペダンティックで読みづらい、
知識がないとトリックのわからないミステリィを書いているのかと思いきや、
学歴に関係なく読める(東大卒でなくても)ミステリィを書いていらっしゃるのです。

その作風は「人を食ったよう」と言われるため、
一部の人間は、森博嗣のことを「カニバリズム作家」と呼びます。
デビュー作である「すべてがFになる」を含むSMシリーズは、特に人を食っていて、
トリックのヒント……というよりほとんど答えが、
本編とは関係なさそうな衒学的な会話の中に含まれていたり、
作中で幾度も、様々なキャラクタによって繰り返される
作品のテーマともいうべき主張に隠されていたりと(というより大きすぎて気付けない)、
読者の知能を舐め腐った仕掛けが満載です。

トリック自体も、答えを聞けば予想外と言えるほど奇抜なものではないのですが、
ミスディレクションが巧みなのか、読んでいる間は、なぜかわからないのです。
十角館の犯人を、視点が本土に移った途端に理解した(得意気)、この原萩子ちゃんがですよ?
森ミステリィとは相性が悪いのか、全然トリックがわからず、しかたなしに解決編を読んで、
「なぜこのような簡単なことに気付けなかったのでしょう」と自己嫌悪に陥るわけです(嘘ですが)。
まあ、読んだのは今よりずーっと子供の時なので、
もう一度読んだら、開始から一頁で犯人もトリックもわかりますけどね。


では、これくらいで森博嗣の話は止しておきます。
私は誰もが褒めないものを褒め、貶さないものを貶すことに、
このブログの存在意義を感じているので(いま思いつきました)。

それに好きなものの話をするのは苦手なのです。

実験的経験 Experimental experience (講談社文庫)

実験的経験 Experimental experience (講談社文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/07/15
  • メディア: Kindle版


ちなみに一週間ブログを更新しなかったのは、再び扁桃炎になったからです。
以前通院した耳鼻科が年末休みで、代わりにいった耳鼻科が藪医者で、危うく死にました。
今はAmazonプライム・ビデオでXファイルを見ています。それなりには楽しいです。
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神さまはブログを読まない [Philosophie]

以前にも書いたように(嘘です)、私はカトリック学校の出身です(嘘です)。
なので家には当然聖書があり(嘘です)、
私は、その内容を一言一句違わず暗唱できます(嘘です)。
私が大切にしている聖書の教えを一つ(嘘です)あげるとすれば、
「あなたは隣人について、偽証してはならない」
「主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている」
この三つ(嘘です)でしょうか。意味を簡単に説明すると、
四つ目(嘘です)は、嘘を吐いてはいけないという意味(嘘です)、
七つ目(嘘です)は、いつでも神さまに見られていると思い、
恥ずかしくない行動を取りましょうという意味です(嘘かも)。

さて、ここまでで何回嘘を吐いたでしょう?
(嘘です)にも嘘があるので、たぶんわからないと思います。


聖書の教えはともかくとして、私が、私を取り巻く現実に存在する人以外の、
姿の見えない誰かの視線を気にし、恥ずかしくない行動を取っているのは確かです。
例えば、音楽ライブなどで周囲が盛り上がり、
踊り、騒いでいるのに、私一人だけが棒立ちだったり……。
私だって本当は、皆と一緒に楽しみたいのですが、
人目を気にせずはしゃぐ自分、叫ぶ自分を想像するだけで、
胸が詰まり、頭がくらくらします(想像せずとも夜はだいたいこんな体調)。

一体誰が私を見張り、私をこのような人間にしてしまったのでしょうか?
神さまでしょうか? では神さまとはなんなのでしょうか?

「神さまは、いつでも私たちを見守ってくれています」
と先生は言いましたが、果たしてそれは真実なのでしょうか。
地球には、全人類、80億近い人間が存在し、
その内の一人が電磁波すら通さない密室にいたとしても、
その彼は見守られているのでしょうか。
見守られていたとしたら凄い能力です。全知全能なだけあります。

しかし、そんな全知全能な神さまは見る事しかしません。
決して手を差し伸べてくれることはないのです。ピーピングマニアです。
苦難は、自らの力で打破せよと仰られ、
打破に成功したら成功したで、それは神さまのお導きなのです。


ではここでクエスチョン(ミステリィハンター)。
嵐により閉じられた孤島に、ある人と二人きり、(一時的に)閉じ込められた貴方は
ひょん(運命)なことから、ある人を殺してしまいました。
さて、貴方の犯罪を見ていた人は誰でしょう?
そして、このままでは逮捕されてしまうであろう貴方を助けてくれるのは誰でしょう?

答えは神さまです。


しかし今回の記事タイトルは中々どうしていい出来です。
「オークのチンコはデカすぎる」に次ぐ、素晴らしいタイトルと言えるでしょう(言うだけ)。

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

  • 作者: ハリイ・ケメルマン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1976/07/01
  • メディア: 文庫




さりげなくコメント返信のこーなぁ


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私は私の中で一番の私 [Philosophie]

私は自尊心が強いと自負してします。
そもそも自尊心は、自負する以外、証明のしようがないものです。
私の能力、もっというと私の存在そのものの価値を信じる、それが自尊心なのです。
他人からの評価は関係ありません。
私を良く見せようとしない、悪く見られても気にしない。
それが自尊心が強いということだと私は思います。

私は、周囲の優秀な人々と比べたら、
賢くもないですし、運動もできないですし、虚弱体質ですし、貧乏ですし……、
とにかく欠点の多い人類ですが、少なくとも、私は私の中では一番なのです。
私より優れた私がいないことは、私が一番よく知っています。
むしろ私以外に私のことを私以上に詳しく知る私がいるでしょうか? いません(反語)。
他人と比べても負けることのない私が、私の中に、確かに存在するのです。

そんな私の自尊心を守るに、私はどうすればいいのでしょう。
簡単なことです。私の知る私を裏切らないことです。
例えば、「靴を舐めたら一万円」と言われたら、私は靴を舐めます。
ですが、私から「靴を舐めるので一万円ください」とは言いません。
私の知る私は、そのようなことは決して言いませんから。

他人に命じられ、屈服するのならともかく
自分から屈服するような、心を売り渡すようなことはないのです。
たぶん。
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まほろ大先生の居ぬ間に禁じられたジュリエットの感想 [Book]

結論から言うと、つまらなかったです。

しかし、なぜつまらなかったかを説明するには、
内容も詳しく説明しなければなりません。
ですが、それはトリックのネタバレをするということと同義です。
ミステリィに対する礼儀として、そのようなことをするわけにはいきません……
なんてことを言うと思ったら大間違いです。

この小説のつまらなさは犯罪級です。
これを新本格ミステリ30周年記念作品の一つとして宣伝、販売することは、
まさに企業犯罪と言えるでしょう。言えないかもしれません。
でもそんなことはどちらでもよくって……。
とにかく私はこの作品がキライです。
だから、オチでも、トリックでも、なんでも気にせずに書いちゃいます。

ということで、この本を買う予定のある人は、
これより下へ、画面をスクロールしてはいけません。

禁じられたジュリエット

禁じられたジュリエット

  • 作者: 古野 まほろ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/03/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


では感想です。

まず物語の舞台は日本……ではなく、
日本から分離独立してできた社会主義っぽい架空国家です。
都合のいい時は、本来の日本の価値観で、
都合の悪い時は、架空の日本の価値観で、
臨機応変な対応が可能です。

この国では、ミステリ小説が麻薬や覚せい剤よりも危険な代物として扱われています。
変なの。
主人公たちはそれを読んでしまい、
思想犯として、更生プログラムを受けなければならない……みたいな。
もう面倒なので、あとはamazonの紹介文でも読んでください。

さて次は、普段通りの流れならば、キャラクタ紹介をしたいのですが、
特に魅力のあるキャラクタがいないので省略します。
(序盤50頁ほどをキャラクタ紹介に費やしたにも関わらず、キャラクタが薄いのです)
登場人物は女子高の関係者で、全員が女性です。
だいたいがオカマのような口調なので、
適当に、映画でも見ながら読んでいると、誰が喋っているかわからなくなることもありますが
別に誰が喋っていようが関係ないことが段々とわかってきます。
囚人側、看守側、先生という区別さえつけば、特に問題はないです。

タダノ、トオノという名前のキャラクタが登場します。これは本当です。
特に深い意味はありませんが、一応書いておきます。


ではいよいよ詳しい感想に入ります。

ジャンルとしてはイヤミス(念のため書きますが嘘です)というものでしょうか。
読んでいて不愉快になるシーン、描写が多く、470頁中、300頁ほどが不要でした。
50頁は先ほど書いた人物紹介。なくても問題がないくらい内容が無意味で薄いです。
次いで250頁ほど続く、ほぼスタンフォード監獄実験そのままの、
ねちねちくどくどと続く女子高生虐め。あそこまで詳細に書く必要はまったくありません。
そんなに女子高生に便器を舐めさせたいのなら、ミステリィにこだわる必要はないと思います。
まあ、劇中劇だと思わせないためなのでしょうけど。

いま、さらりとネタバレをしましたが、より詳しく説明すると、
更生プログラムとして長々と250頁も行われた監獄実験は、すべてお芝居だったのです。
どうです? 驚きましたか? 叙述トリックですよ? 私は特に驚きませんでした。
「ああ、そうですか」という感じです。
しかし、お芝居で自殺したはずの人が本当に死んでいて……、
「ああ、そうですか」という事件が発生します。

コマンド―の最後の海岸シーンで、突如メイトリクスが「これはお芝居でした!」と言い放ち、
今まで死んだ人たちが登場。しかし一人だけ本当に死んでいて、
「これからこの殺人事件を解決します!」とメイトリクスことシュワちゃんが宣言。
こんな映画見たいですか?(ちょっと見たい)

しかも監獄実験という設定は、トリックとはほとんど関係がないのです。
登場キャラクタに、ミステリ愛について長々と語らせる為の口実?でしかなく、
悪趣味さに耐えて耐えて、なんとか読み切った貴方を愕然とさせることでしょう。
ミステリィがキライになるかもしれません。
この本を更生プログラムに導入すべきだと私は思います。

結局のところ劇中劇は、幕間と終幕間際以外は読む必要がありません。
330頁から読み始めても、問題なく小説を楽しめる(推理ごっこができるという意)でしょう。


劇中劇中(変な日本語)、登場キャラクタの一人に、ミステリ愛を長々と、
念仏のように語らせるコーナーがあるというのは先述したとおり。
これが、この本が北海道でミステリ愛溢れる一冊だと評価された理由でしょう。
しかし私には、この本からミステリ愛なんてものはまるで感じませんでした。

自分を大きく見せるための肩書の一つとしてミステリィを利用し、
新本格の看板に泥を塗ったまほろ大先生の文章に、
ミステリィに対する愛なんて崇高なものを感じることはできませんから。
大先生は、喩えるなら本格推理を神として崇め奉り、お布施を募る宗教家です。
はい、微妙な喩えでしたね。

ミステリィの素晴らしさを伝えたいのなら、
言葉ではなく作品、あるいは作者自身の行動で伝えてもらいたいものです。
例えば、問題を起こしそうな頭のおかしいミステリィ作家を、
自分の名前にまで傷がつく可能性を恐れずに、弟子にするというのはどうでしょう?
綾辻、有栖川両先生のミステリィに対する深い愛情には脱帽です。
小学校以来、帽子は一度も被っていませんが。

いい加減、小説に話を戻しましょう。
そもそもキャラクタたちのミステリに対する感情がおかしいのです。まるで共感できません。
自分で書いたわけでもない小説を、
思想犯として逮捕される可能性すらあるのに、なぜ守ろうとするのでしょう。
ミステリィが好き……、それは大いに結構ですが、時と場合を考えましょう。
ちっぽけで無意味な反抗なんてせず、表面だけでも従順にしてみせればいいじゃないですか。
口先だけの愛を語り、他者にそれを主張することもないでしょう。
焚書したり、ミステリィを侮辱するだけで、
思想犯ではないことが証明できるのなら、それをすべきです。

一度読んだ本がどうなろうと知ったことではありませんし、
自分以外の人間が読めなくなったとしても、
それならばトリックを模倣して、自分で小説を書くまでです……というのは冗談です。
しかし、あれだけミステリ愛が深い登場キャラクタたちの誰一人、
「自分で書けばいい」という発想に至らないのは冗談抜きに変です。
書かないまでも、仲間たちと口頭で推理ごっこでもすればいいと思います。

大切なのは過去ではなく未来。メディアではなくコンテンツ……なんてことを、
新本格ミステリ30周年記念作品に言ったところで無駄でしょう。
(ところで新本格30周年って、新社会人30年目くらい意味不明じゃありません?)


またまた話が逸れている気がします。
でもこれから、ようやく解決編の話に入るのでもう逸れません。たぶん。
遠い昔に書いたとおり、お芝居で自殺したはずの人が本当に死んでいた……
さて、犯人は誰でしょう?という、ただそれだけの話です。特に捻りのない謎です。
そのくせ、ガバ論理で謎を解きます。どうかしていると思います。

魅力的なキャラクタが登場しない以上、魅力的な探偵も当然存在せず、
犯人特定は、魅力的でないキャラクタ数人による消去法で行われます。
そこに、鋭い思考のキレといったようなものは微塵も存在しません。

消去法は、作中では篩と表現されています。
条件に当てはまらない人間を、順(A子の篩、B子の篩……という風)に除外していき、
最後に残った人間が犯人ということになります。
しかし、なぜか一度篩い落とした人間を、篩担当者が切り替わるごとに拾い上げ、
再び篩に入れ直していたのは理解に苦しみます。
(例――A子の篩で①②③④⑤の内、④⑤を篩落としたのに、
    B子の篩に再び①②③④⑤を入れる。
    これで①②が落ち、結果的に③が犯人だとわかるのですが、
    はっきり言って美しくはないですね)

更に残念なことに、この篩は作りが雑でした。穴だらけです(篩ですからね)。
作者曰く99.99パーセント犯人の特定に成功しているらしいですが、
私の計算によると(嘘です。本当は計算なんてしてません。作者もしていないでしょう)
66.66パーセントがいいところでしょう。

ふるい一・軍事教練
自殺(の芝居)には回転式拳銃が使われました。
本来シリンダに銃弾は入っていないはずでした。
しかし銃弾は発射されてしまいます。

お芝居中、引き金を引くのは全部で三回。
空砲→空砲→実弾の順番で、シリンダが回転したことになります。
つまりシリンダの三番目の穴に、あらかじめ銃弾を入れておけば、
自殺を偽装した殺人が可能になるというわけなのです。

自殺の可能性はありません。
その根拠は、被害者が自殺なんてするわけないからです。
おお、物凄い論理的な根拠ですね。

いえいえ、実はもっとありますよ。
被害者は軍事教練(学校の授業)を免除された、銃の扱いを知らない人間だったのです。
だから銃弾の込め方はわからないし、シリンダの回転方向もわからない……、
よって自殺はありえない、ということだそうです。
授業があるのなら教科書とかにも載っていそうですし、学友に聞くことも出来ます。
なんせ学校には、この手の拳銃がゴロゴロあるそうですし。

とにかく、この篩で伝えたいことは、
「自殺じゃないったら自殺じゃない。銃を扱える人間が犯人だ。
 ただし授業以外で銃のことは勉強できないとする」
ということです。

ふるい二・指紋消去
銃弾を込めた犯人が指紋を拭いたのはいつなのか、
あるいは指紋を拭く必要性はあったのか、といった内容がここでは語られます。

特に極大の穴は開いていませんが、
まずシリンダは空だったという証言を、
仲間の証言だからというだけで鵜呑みにする態度。
銃を放置していなくなる間抜けを期待するだけの、
運任せの犯行(どんな隙も見逃さない合理的な犯行らしい)にまったくツッコミを入れない態度。
などなど、幾つかの問題もあります。

ふるい三・身体検査
銃弾を入れるタイミングがあったのは誰だ、といった内容の篩です。
合理的な犯人なら~というワードが頻出しますが、
合理的な犯人なら、舞台を利用して人を殺すなんて考えないでしょう。
あしからず(ちょっと無理やり批判してみました)。

しかしこのお芝居は、台本に身体検査と書いてあるところで
肛門までちゃんとチェックするのですね。凄いですね。

ふるい四・回避行動
お芝居中、空砲ではなく、実弾が発射されることを知っている犯人なら、
思わず回避行動をとってしまうはず、という篩です。
はず……舞台を利用して人を殺そうとするサイコ野郎に常識が通用するでしょうか?
自分が死んでも構わないと思っていたかもしれませんね。

ふるい五・舞台効果
途中で舞台を止めたくないであろう犯人は、リアルな銃声をサンプリングして使い、
本物の銃弾が発射されたことを気付かれないようにするはず、という篩と、
自殺のお芝居を利用して、人を殺そうとする犯人は、
小道具として本物の銃を遣わせようとするはず、という篩の、二つの篩が使われます。
つまりこれらは、道具係、音響係が怪しいとする篩です。

一つ目の篩は、音がどれだけリアル、あるいは大音量だろうと、
本物の銃が近距離で発射されたら、さすがにわかる(お得意の軍事教練で)と思うので、
前提からちょっとよくわかりませんね。
途中で舞台が止まったとしても、自殺シーンで99.99パーセントこの舞台は終わり、
あとは台詞が一つばかりあるだけですし。

二つ目の篩も、小道具に実銃が使われるのを知って、
それから計画を立てたかもしれないので、さあどうでしょう?

ふるい六・新しい脚本
いわゆる秘密の暴露です。犯人がうっかり口を滑らせたというわけです。
こんな斬新な推理は見たことがないでしょう?
新本格ミステリ30周年記念作品と呼ぶにふさわしいです。

以上、御清聴ありがとうございました(作中文リスペクト)。

ちなみに……最後にもう一つ大どんでん返しがあります。
実は篩のくだりもすべて舞台だったのです。
劇中劇中劇です。わあ凄い。上から読んでも下から読んでも劇中劇中劇です。

コマンド―の最後の海岸シーンで、突如メイトリクスが「これはお芝居でした!」と言い放ち、
今まで死んだ人たちが登場。しかし一人だけ本当に死んでいて、
「これからこの殺人事件を解決します!」とメイトリクスことシュワちゃんが宣言。
そしてシュワちゃんたち(含むベネット、含むシンディ)の名推理で事件は解決。
しかし次の瞬間、海岸にプレデターの大群が現れます(透明だから見えない)。
犯人だったカービー将軍が突如改心し叫びます。「ここは私に任せろ!」
そして、シュワちゃんたちは羽の付いたカヌーに乗って逃げます。そこで映画はジ・エンド。
スタッフロールが終わるとともに、上映会場が明転し、
スクリーン横からシュワちゃん含む出演陣が登場。
手をあげながら片言で「ドーモ、コンニチワ」なんてシュワちゃんが挨拶を初め……
もうどうでもいいですよ。
つまり私は1700円近くをどぶに捨てたという、ただそれだけの話ですよ。

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